2023.04.14 お知らせ

第58回 中日理論言語学研究会

2023年5月14日(日)13:30~17:30(同志社大学 大阪サテライト・キャンパス)
シンポジウム「感嘆と名詞発話」

講演者(敬称略)及び題目・要旨:
高山善行(福井大学)
「感嘆文をどう捉えるか―推論との関係を中心に」
本発表では、聞き手(読者)の意味解釈の観点から感嘆文の成立条件について検討する。古歌「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」は〈感嘆〉を表す表現形式を含んでいないが、「どうしてあわただしく散っているのだろう!」と〈感嘆〉で解釈される。 この意味解釈には、「普通はXなのに、実際はYである」という推論が潜んでいる。現代語「なんて暑い日なんだろう!」「あっ、ブレーキ踏んでた!」も推論が関わる。日常我々は規範に基づいて判断し行動するが、規範と事態にギャップが生じると、その理由を求め合理的説明に至ろうとする。感嘆文はそうした心の動きのなかで捉える必要がある。
 
井上優(日本大学)
「日本語と中国語の名詞句感嘆文」 
日本語にも中国語にも、「この服はなんときれいだ!」、“这件衣服好漂亮啊!/这件衣服多漂亮啊!”のような形容詞を用いた感嘆文(形容詞感嘆文)と、「きれいな服だなあ!/なんときれいな服だ!」,“好漂亮的衣服啊!/多漂亮的衣服啊!”のような「(副詞+)形容詞+名詞」を用いた感嘆文(名詞句感嘆文)がある。日本語では、名詞句感嘆文が形容詞文に近い性質を持ち、「想定を超えるコトがある」という気持ちの文として使える。中国語の名詞句感嘆文は、“好” “多”のような「計量」的な意味を含む程度副詞により「想定を超えるモノがある」という気持ちを表すものであり、それ自体は述語性を持たない。それゆえ日本語の名詞句感嘆文よりも使用が制限される。
 
定延利之(京都大学)
「名詞一語発話は文発話か」
「感動や呼びかけのことばなどは、文と呼ばなければならないと誰でも感じ」る(大岩1949「文の定義」『国語学』3所収)という「文の感覚」は、国語学~日本語学のみならず海外にも見られ、「談話は文からできている」という「唯文主義」的談話観の源ともなっている。しかし、この感覚は「文=発話単位」という文の一定義に支えられており、自明のものでは決してない。つまり、この感覚の妥当性如何は、「文=発話単位」という文定義の有益さ次第である。この発表では現代日本語共通語の名詞一語発話をとりあげ、これを伝統的な文定義そして文感覚に基づき文発話と考えることが有益か否かを、語用論・韻律・統語の点から論じる。結論は否定的なものである。名詞一語発話の成立要件、末尾での下降イントネーションの自然さ、自然会話における文内要素前置独立の不自然さは、名詞一語発話を一般の文発話とは別物扱いすべきことを示している。以上の論を通じて、伝統的な文定義および「唯文主義」的談話観の限界を明らかにしたい。