2024.08.21 お知らせ

第62回 中日理論言語学研究会

第62回中日理論言語学研究会では、下記の通り、「可能と意志、表現と発話」と題し、対面形式でシンポジウムを開催いたします。日本語(現代語・古典語)、中国語、韓国語の可能表現と意志発話その他を題材に、可能、意志、体験などの基礎概念を掘り下げて議論して参ります。ご多忙の時期とは存じますが、多くの方々のご参加をお待ち申し上げます。
 
なお、今回は土曜日開催となりますので、ご注意いただけたらと存じます。
 
                                                          記
 
日時:2024年9月21日 (土) 午後13:30から17:40まで
会場:同志社大学大阪サテライト・キャンパス
   〒530-0001 大阪市北区梅田1-12-17 JRE梅田スクエアビル17階 
   TEL:06-4799-3255
アクセス:https://www.doshisha.ac.jp/information/campus/access/osaka_o.html
参加方法:参加を希望される方は、下記のURLまたは添付したチラシのQRコードにアクセスし、2024年9月
               12日(木)の17時までにFormsにて参加申込書をお送りください。開催の1週間前程度を目処に、
               事務局から登録していただいたメールアドレスに発表資料を送付させていただきます。
 
Forms URL: https://forms.office.com/r/ttVByz6PkA
 
 
シンポジウム「可能と意志、表現と発話」
 
講演者(敬称略)及び題目・要旨:
 
発表1:可能文の意味について
発表者:井上 優(日本大学)
要旨:可能文は「期待通りの結果の実現」を表し、結果の実現を可能性として述べるか、現実の個別的事態として述べるかで、潜在系可能と実現系可能に分かれる。中国語は、事態の実現を述べる文が実現系可能を表すことができ、可能文は潜在系可能しか表さない。日本語と韓国語の可能文は潜在系可能も実現系可能も表すが、実現系可能の成立条件が異なり、日本語では期待通りの結果が実現すれば可能文が用いられるが、韓国語では「阻害要因の克服」の意味が明確でないと可能文は用いられない。日本語・韓国語・中国語の可能文のこのような相違は、①「可能性」と「現実」、②「スル」と「ナル」という意味的な区別と文形式との関係が三言語で異なることにより生ずる。
 
発表2:文法研究は現実世界とどうつながるか−〈意志〉の問題を例に
発表者:高山 善行(福井大学)
要旨:本発表では、文法研究と現実世界との関係について考えてみたい。日本語の記述文法では、〈意志〉は「基本形/ウ/ヨウ/ム(古典語)」等が表す文法的意味であり、「行為に先行する心的状態」とされる。しかし、我々の実感では実在が認めにくく、日常のどの場面で必要かも分かっていない。文法記述は現実世界とつながっているのだろうか。〈意志〉は〈意図〉〈願望〉〈信念〉によって構成される複合概念であり、行為の側面と見ることができる。また、行為の実現においては、〈可能〉と関係が深い。文法研究が現実世界から乖離しないためには、生活の場面から形式を見ていく実践重視の観点が必要である。
 
発表3:日本語の体験とエゴフォリシティ
発表者:定延 利之(京都大学)
要旨:本発表ではまず、現代日本語(共通語)の着点視座表現、具体的には、モノの到着を着点視座で表す「来る」表現、力の到着を着点視座で表す「(ら)れる」表現、利益の到着(発生)を着点視座で表す「くれる」表現を素描し、これらの表現が、各々の視座からの「眺め」と密着しているという点において体験表現らしさを多かれ少なかれ帯びていることを示す。次に、井上氏の挙げる実現系可能表現も、過去時制を好み、(読み込まれたものであれ)意図どおりのデキゴトの到来を表すという点で、体験表現らしさを持つことを示す。さらに、高山氏の挙げる意志の発露発話について、行動の実践がなく体験「表現」ではないものの、基本的にエゴフォリックであるという1点において体験表現と通じるものがあると述べる。